東京40s出産育児備忘録

東京都在住の40代。2020年10月に3人目の妊娠が判りました。

母は育児ノイローゼだった

先日のある日、週末実家に遊びに行き両親と夕飯のテーブルを囲んでいる時。
母が自分の育児の思い出話しをしていてこんなことを言った。

「お母さん、忙しくてもしかしたらあなたに当たってしまっていたかもしれない」

母は実家が関西の山奥で、大学進学の際に上京した。
仕事と育児で大変な時にもすぐに頼れる家族がいなかった。

私は弟と2歳差で、弟が産まれた時、父は大学病院に勤務しており激務で2週間に1度しか帰れなかったそうだ。

私たち兄弟は、保育園へ保育ママがお迎えに来て20:00まで保育ママの自宅で夕飯を頂いたり遊んでもらったりして過ごしていた。

もし自分が当時の母と同じ生活を強いられたら発狂するかも。

イヤイヤ期の長女プラス乳児。

今、我が家はこの最強の組み合わせの2人の育児中だけれど、旦那は手伝ってくれるしサボりたくなれば両親が近くに住んでいる。

母は育児ノイローゼだった。
初めて腑に落ちた。

就学前の記憶に、母に遊んでもらった記憶が私には全然無い。

就学後も、母に甘えた記憶が無い。

仕事で忙しかったこともあるだろうし、子どもに関心を向ける時間が持てなかったんだ、と初めて知った。

そしてワンオペ育児のストレス。

母はヒステリックに怒ることもしばしばあった。


自分が母親になって初めて分かった母の育児ノイローゼ

そんな母に育てられた子どもへの影響を、私自身がはっきり感じる。
私の場合は、ということになるけれど。

私は、母の助言や言葉を一切聞き入れないということをしていた。

あとは、自分を可愛がってくれる大人の女性に過度に甘えた。

覚えているのは、小学校2年生の時。
小学校のイベントで遠足に行った時、担任の女性の先生に抱きつきながら私は、

「お母さんより先生が好き‼︎」

と両親の前で言った。

その時のことを、父は笑い話にするが母は深刻そうな顔で今も話す。

後は、将来の進路について母からの助言を一切聞かなかったりした。

非行に走ることは無かったけれど、とにかく母の話しを受け入れなかった。

私は自分の娘には関心を向けて、愛情を分かるように伝えてあげたいな、と思っている。

そう思えたのは母のおかげ。

現在、母とはいい関係で孫のこともとても気にかけてくれている。

私たち子どもへの関心が薄らぐくらい仕事への時間を割いたおかげで、私たち兄弟はいい暮らしをさせてもらえた。
とっくに大人になった今だってとてもお世話になっている。

でも。小学生の頃、学校が終わり友達の家に遊びに行くとお母さんがいておやつが出てくるおうちが心底羨ましかった。

どんなに質素なおうちでも、学校が終わり帰宅するとお母さんがいる友達がとっても羨ましかった。

仕事を持つ母親でも、家事の時間をなるべく減らして子どもとの時間を増やすことは可能かもしれない。

私自身の経験だけからだが、小学生になって「話しを聞き入れない」という仕返しを母親にしていたのかもしれない。

幼児期にした淋しい思いや、やりきれない思いを、ちょっと知恵がついた小学生くらいから母親にぶつけだしたのかもしれない。

だから。自分の子どもには愛情を伝えるし一緒に笑う時間を幼児期にたくさん作ってあげたい。

私の母ほどの金銭的援助はしてあげられないと思う。
その分、いつも満ち足りた気持ちで過ごせるようにしてあげたいな、と思っている。

この日以来、イライラすると私の母を思い出すようにしている。

子どもが小学生になって、私のように言うこと聞かなくなったらイヤだから‼︎